退院後〜復職と転職
退院後はまず2週間に1度のペースで5ヶ月間通院していました。
私は一人暮らしだったので、退院直後から数ヶ月は母親が来てくれて、生活面を支えてくれました。
まだステロイドが多かったので眠れなかった日々もあるものの、同じ空間に他人がいなくて、ナースコールも聞こえなくて静かで、カーテンを自分で開けて朝日を感じれる日常がなんて幸せなんだろう🥲と沁みました。
食事面は私が最初の頃は結構気にしていたので、塩分とタンパク質は考えながら作ってもらったり。
退院する時はあまりの嬉しさにハイ状態で、1人での生活に戻る気満々でしたが、よくよく考えたら誰かの力を借りずして退院は無理な状態だったなと思います。
お世話してくれた母に心からの感謝💐
あとはもう日々の中で少しずつリハビリを開始しました。
日が出てない時に公園まで歩いたり、洗濯物など身の回りのことをしたり。
そしてはやく復職したかったので、不安はありつつも12月から復職訓練(私の会社の場合は1ヶ月間出社するだけで、一応資格の勉強を個人的にやったりしてました)を受けました。
ほぼ毎日出社はできたものの、会社と相談し、運良くフルリモートの現場があったのでそこに1年間配属されました!
これも本当にタイミングが良かったので、本当ありがたかったです。
ただ、本当は時短からスタートしたかったですが、会社的に時短ができなかったため最初からフルタイム勤務再開でした。
ちなみに病気のこと、仕事関係の人の誰からどこまで知らせるか問題について。
まず人事は保険の関係もあるので私の入院中にかかった金額を見て「相当大変だった」というのは察してくれてました🙂
それから人事から確認を受けて、まずは担当営業、直属の上司までは伝えることを了承。
さらに現場配属が決まった時点でチームリーダーにも伝えました。
私の仕事では対顧客企業があり、そちらの偉い人に伝えるかどうかは会社にお任せした結果、伝えなかったようです。
あくまで社外だというのと、おそらく伝えて断られるのを会社が気にしたんだと思います。
この辺りは難しいですね🥲
結果的に1年間、体調を崩すことなく仕事ができたので良かった良かった、と思います。
フルリモートだったのと、入院前のような過度な残業も無かったことが無事に過ごせた理由だと感じました。
おそらくこの時の月の残業時間は10時間前後くらいだったと思います。
職場復帰してから、通院は月一土曜に行き、平日はフルタイム、リモート勤務。
これで翌年の12月までの丸一年を過ごしました。
その後はただの余談にはなりますが、次のフルリモートの現場が見つからなさそうだったので、それが叶う会社へと転職しました🌸
転職活動、2回目だったけど、病気になってからは初めてだったので、前と違ったことや、やはり病気のことで悔しい思いをしてとても大変でしたが希望の会社に入れたので、今も安定してフルタイム、リモート勤務で働いています!!
転職の詳細は機会があれば書く予定です。
毎月の通院で少しずつステロイドを減らしたり、薬を変えたり、色々と変化はありましたが体調的なトラブルは年末に口周りに帯状疱疹ができたくらいで、病気の悪化などは見られませんでした🥳😆
入院④41日目〜75日目(副作用のピーク〜退院)
ステロイドパルス療法は多量のステロイドを投与し、免疫反応や炎症を強力に抑える治療法です。
強力故に、副作用もたくさん挙げられています。
私が入院中感じたものとしては、
易感染性
血小板機能亢進
精神症状(ステロイド精神病)
満月様顔貌(ムーンフェイス)
高血圧症
増毛、脱毛
生理不順
ステロイド筋症
です。
易感染性では、入院中いくら気を付けていても何度も日和見感染症になり、
メンタルボロボロだったので、主治医にまた陽性だから薬飲んでね、と言われるたび「何でなの〜〜😭😭」と泣きながら薬飲んでました。
血小板機能亢進、高脂血症、高血圧症は血液検査ですぐに分かり、+消化性潰瘍の予防としてそれぞれ薬の服用や点滴投与を行いました。
満月様顔貌、体毛の増毛、髪の毛は脱毛&細くなりくせ毛になる、ステロイド筋症では握力が左右平均10未満となる、なども体感しました。
そして、何よりもつらかったことが精神症状です。
パルス開始時におそらく医師から説明があったと思いますが、一番つらかった時の私は「こんなにずっと涙が止まらないのも、イライラが止まらないのも、全部自分のせい」とずっと思ってしまっていました。
ですから、パルス療法を開始後同じように苦しんでいる方には知ってほしい。
「すべて、薬の副作用だから」と。
あなたのメンタルが弱いからではなく、薬のせい。
今毎日毎日涙が止まらなかったり、イライラが抑えきれないのも、薬のせい。
薬のおかげで免疫や炎症がおさまった後、しばらくは体も心も辛いかもしれません。
でも、薬が減っていけば、時間がたてば、精神状態も落ち着きました!
今となっては、どうしてあの時その言葉(薬のせいだよ!!って)をかけてくれる人がいなかったのだろう、と思うこともありますが(聞こえてなかったか覚えてないだけかも)、振り返ればきっとその時は何を言われても「辛いものは辛い、はやく帰りたい」としか言えなかった気もします。
日記を見るに、「つらい限界もう無理」状態になっていたのが入院65日目。
精神状態からきているものなのか、薬の副作用なのか不明ですが、何かを思い出すことに時間がかかったり、言葉を話すのもかなり遅くなり、手は震えて文字がうまく書けないなどといったことも記してあります。
入院生活が2か月と少しを超えたところで、とにかく自分の精神がギリッギリのギリだったことは記憶にもあります。
このあたりからは毎日主治医に帰りたいと頼み、親にすら根をあげて一日でもはやく退院したいんだと訴えたのも覚えています。
本来であれば退院にはあと2週間(つまり丸3か月の入院)は欲しいと言われていましたが、私の切なる退院したいという気持ちを叶えていただき、入院生活は75日目で終了となりました。
この時のステロイドは40mg、週1の通院を条件になんとか退院👏🏻🎊㊗️
これで入院の記録は以上です。
以降、退院後についてと、流れ上記載しなかった事もあわせて振り返ります。
以下続きの時系列📝
26日目:
65日目:メンタル、ギリギリ。帰りたい病。
75日目:退院!(ステロイド40mg)
入院③26日目~40日目(合併症の治療)
26日目、突然38.5度の熱。
前日までは熱もなく、ようやく塗り絵などを楽しむ入院生活を送り始めたばかりなのに。
翌日には40度超えの高熱。
高校生時代から何度も40度超えの熱を経験してきたものの、こればかりは慣れる訳もなくひたすらに辛い。
プラケニルを念のため中断し、「明日また治療方針を決定するからね」と言われるも、お偉いさん会議がさらに翌日だからそれまで待たなくてはならないと言われ、そのときの絶望的な気持ちを日記に綴ってあります。笑
そして新しい月に入り入院31日目。
原因がようやく判明。
「血球貪食症候群」と「溶血性貧血」でした。
これが私をとっっっても苦しめた合併症。
その日から再度ステロイドパルス療法が開始。
結果として1000mg×3日、250mg×3日、125mg×7日、60mg×7日と、約3週間は点滴投与となりました。
加えて免疫抑制剤の「ネオーラル」も開始しています。
38日目では「血球貪食症候群」の状態は落ち着き始めていると言われましたが、「溶血性貧血」がとにかくやっかいでした。
入院時からずっと貧血状態でこの頃は連日輸血をしていましたが、それでもHb値はあがらず6.0ほど。
輸血をしてもなかなか回復しなかったため、「免疫グロブリン」を投与し始めました。
それにて何とか持ちこたえるものの、入院42日目の最低値のHb5.2。
間違いなく身体全身が一番しんどかった時でした。
それほどの貧血状態だとどんな感じかって、まず自力では起き上がることも不可能。
横になって天井を見つめることしか気力も体力もない、そんな感じです。
後ほど主治医からはこの頃が一番危なかった、と言われたのであの感覚はあながち大袈裟なものではなかったのだと思います。
親も「最悪な場合も覚悟してください」と言われてさすがに焦ったらしい(ちょっと大袈裟に主治医言ったんじゃない?なんて今は思うけど。私はそこまでは言われなかったな〜)
とにかく体力ボロボロ、そしてメンタルもすでに大分弱り始めていました。
睡眠薬を引き続き服用するも、それでも眠れなかったり、何度も夜中に起きて十分な睡眠がとれなかったこと、一体いつ回復して退院できるかの不安、4人部屋のナースコール近くの場所、同室の方々、色々な要因が重なって辛い日々でした。
この頃からちょっとしたことで涙が止まらなかったです。
ただ、病状的にはこれ以降悪くなることはなく、少しずつ回復の兆しがみえた頃でもあります。
入院50日目、Hbは7.2まで上がり、輸血のラインである7.0を上回りました。
そしてここで、初めて部屋替えを希望し、ナースコールの一番近い部屋から離れることができました。
先ほども記した通り、病状はここから回復していきます。
ここから退院までは、とにかくメンタルとの闘いでした。
入院②15日目〜25日目(治療開始〜合併症になるまで)
入院15日目、ここでようやく治療が開始されることとなります。
最初はステロイド経口投与。
いわゆるプレドニンと呼ばれる薬を20mg飲み始めました。
次の日には平熱まで下がり、感動したことを覚えています。
しかし17日目、抗生剤を点滴した後、とてつもない全身痛に襲われました。
初めて薬のアレルギー反応を経験した日です。
一部薬疹が出ましたが、それよりも私の場合は全身を針で刺されたような痛みが特徴でした。
点滴をすぐにやめてもらったものの、11時間痛みが続いたと記してあります。
(なぜか点滴開始した直後ぐらいに、点滴なのに変な味?においがする〜と看護師さんに笑いながら話したらその後激痛が走ったという、これもまた謎現象。主治医も不思議がってた。)
思い出すだけであの時の痛みにはゾッとします・・・🫠
そんなこともあり、18日目からステロイドパルス療法を500mg×3日間スタートとなりました。
パルス開始後、しばらく発熱はありませんでした。
悩まされたのは睡眠不足と、高血圧による頭痛。
睡眠不足については、正直入院2日目から眠れない日々が続き、15日目からは初めて睡眠薬の処方もされていました。
ですが部屋の状況と精神的な不安、そこにステロイドパルスが重なり昼寝すらできないような状態でした。
高血圧についても、パルス療法の副作用です。
もともとかなりの低血圧(上80〜ほど)だったため、高低差に驚いたのだと思います。
3回目のパルス療法が終わった次の日の深夜、血圧が180を超え、人生で一番の頭痛。
違和感を少し感じたのもつかの間、急激に頭が割れるほどの痛み。
ベッド上をのたうち回った記憶があります。
あの時周囲にいた方には本当に申し訳ない気持ちです。。
幸か不幸か、血圧を下げる薬が効いた後、久しぶりに寝れたことだけが救いでした。
そこから25日目までは特段辛いことはなく、少し離れた休憩スペースまで朝の食パンを一人歩いて焼きに行けるほど回復していました🍞
しかし、本当に辛い入院生活はここから!!
その前に、ここまでのざっくりとした時系列📝
入院初日~10日目:山盛り検査。
11日目:高熱。初輸血。
12日目:車椅子状態。顔や腕の浮腫みピーク。
15日目:ステロイド20mg服用開始。初精神科受診、睡眠薬服用開始。
17日目:抗生剤アレルギー反応。
18日目:ステロイドパルス療法500mg開始。
21日目:ステロイド25mg服用開始。浮腫みで46kgあった体重が43kgに戻る。
22日目:高血圧による激頭痛。
23日目:リハビリ開始。プラケニル服用開始。
入院①初日~14日間(山盛り検査と最初の発熱)
ここからは入院中に記録していた日記もとに書きます。
私の場合、色々とイレギュラーな結果が出たため入院中に行った検査としては多いほうかと思います。
一般的なSLEの診断に必要な最低限の検査、ではなさそうですが
同じ検査をこれからする予定の方の参考になれば嬉しいです。
まず、入院中に行った検査等が下記です。
検査等一覧
①PCR
②血液検査
③尿検査
④心電図
⑤肺レントゲン
⑥下肢エコー
⑦CT
⑧心臓エコー
⑨経腟エコー
⑩24h蓄尿
⑪造影CT
⑫口腔レントゲン
⑬リンパ節生検
⑭眼科検査
⑮MRI
⑯経食道心臓エコー
⑰シェーグレン検査
⑱頸部エコー
⑲骨髄検査
⑳髄液検査
㉑24hホルター心電図
㉒手足レントゲン
㉓腰椎、大腿骨骨密度検査
①~⑦くらいは一般的に入院時に必要な検査かと思います(コロナ流行時期なので①も)。
②の血液検査では見慣れたサイズの採血管20本と、
それに加えて、タバスコみたいな形の極太容器×4本でした。
こんなに採っても余裕なんだ、人体って面白いな〜と感動しました。初日はまだ元気と余裕があった。
このタバスコ容器は血培というものらしく、血液中に菌がないかを調べる検査で、当然、血液内には菌があってはいけない、存在していないのが正常です。
入院後まずは予定されていた「腎生検」をするために、この検査が確実に陰性である必要がありました。
培養には5日程必要らしいですが、たった半日もかからず全本数陽性という主治医驚きの結果となり、腎生検が中止になりました。
腎生検については、入院前の尿検査でかなりたんぱく尿がでていたため「ループス腎炎」がその時点でほぼ確定しており、その病型を特定するために行う予定でした。
今に至るまで腎生検を私はしていませんし、すでに治療を開始しているため実施する必要はもうないそうです。
話を戻して、この血培の結果後が非常にやっかいでした。
まず「菌がどこから入ったのか」を特定する必要があるようで、そのための検査が➇⑨⑪⑬⑮⑯⑲⑳です。
➇⑨⑮は特筆することがないので⑪⑬⑯⑲⑳について詳細を。
・造影CT
普通のCTの前に造影剤というものを入れてから行う検査です。
一筆同意書を書きますが、副作用の記載に「死」とあったので少しドキッとした記憶があります。投与直後、「今漏らした!?」と感じるような全身ぶわっと熱くなる不思議体験でした。
あれ、なんなんでしょうね。
・リンパ節生検
血液検査時ですべての性病検査も陰性と出たあと、「EBウイルス」が検出されたことを知りました。これが検出されてしまったことにより、「癌ではないか」を確かめる必要があったためリンパ節生検を行うことに。
多分説明を色々してくれていたと思いますが、すでにこの時点で落ち込んでいましたね。そしてその翌日には生検をしました。
うわ〜ドラマで見たことある景色だ〜と思ったり、取れた物見せてもらって、へぇ〜こんなの取れたんだ〜なんて呑気に見てたのも束の間、目の前でよくも分からず進む現実がだんだんと怖くなってきたし、部分麻酔していてもえらく痛かったし、その日の夜は痛すぎて痛すぎて深夜に点滴の鎮痛剤を入れてもらう程でした。
そして何より検査結果を聞く瞬間は本当に緊張したな〜。
・経食道心臓エコー
この検査、かなり印象的です。
どんな検査かというと、胃カメラのようなやつの心臓版、です。
私は胃カメラ未経験でしたし、胃カメラは鼻からもできますよね。
この検査は口から入れるしかありません。
水撒きホースかな?と思ってしまう太さのカメラを口に入れて、心臓を内部から見るもの。
本当に怖くて、直前になって口元を手でガードして拒否する大人という醜態を晒しました。
だって口開けたら「は~い入れますね」って極太ホースを入れようとしてくるんですよ。(そりゃそういう検査だからね。)でも恐怖です。意識はしっかりあります。怖いものは怖い。
ですが、ベテラン女医の声掛けがとても安心できるもので、オエオエしつつ、よだれをたらしつつ(全員そうなる) 無事に入れることができました。
コツとしてはとにかく医師の言う通りにすること。 あとはもう腹くくってやるしかないですが、個人的な感想としては、やる前は一番怖かったけど終わったらそうでもなかったな、という感じです。たぶん次やる機会があったら嫌だけど頑張れます。
・骨髄検査
イメージとしてはまず、めちゃくちゃ痛そうな検査だなと思っていました。
結論、痛みはそこまでない、が、断トツで怖くて不快な検査、そしてもう受けたくない検査No.1です。
この検査、私はうつ伏せになっているので何が行われているかは見えません。
腰辺りに骨髄を採取するための注射器みたいなのを刺し、それを骨髄まで針を刺すためにハンマーみたいなのでガンガン叩かれるのですが、その時がまぁまぁ痛い。
骨髄に到達した後は、かなりの力でグイグイッと何度か注射器を引かれます。
血液ではない何かが背骨あたりから採られる感覚がありました。
何より見えない分ものすごく怖い。痛いというより怖い。
説明時は2,3回という話だったのですが、5回刺されました。
これはもうただの愚痴だけど、
初めての検査への恐怖のなか、何をされているのか、どうなっているのか、なにも声かけされずに進められ、背中越しにぼそぼそと会話が聞こえていて、説明時の回数は超え、想像以上に時間がかかっていたため思わず医師に確認した私に「まだです」の一言だけ言い放った医師、忘れられないよ😭!!
されている側は結構怖いので無言でハンマー叩き続けないでほしい。
声掛けないとめちゃくちゃ不安になる。
25歳でも怖いもんは怖い。
隣で主治医が見守ってくれてたんだけど、主治医の顔が😞ってなってたことだけが救いでした。
そして、この骨髄検査の翌日、私は40度超えの発熱が出ました。
さらに翌日行った検査が⑳の骨髄検査です。
・骨髄検査
突然の高熱、疑われたのはまず「髄膜炎」でした。
そのために行われた検査です。
これは横向きになって注射器みたいなのを腰あたりに刺し、髄液がたまるまで待つだけでした。
前日の私を見ていた主治医が背中越しで「大丈夫だよ、うまくいってるからね」って言ってくれたのだけは覚えてる。(本当に優しい)
たしか痛くはなかったし、主治医のおかげで怖くもないし、あとは高熱でどうでもよかったので、特段つらい検査ではなかったです。
ここまでで入院12日間。
そして記憶もない、日記の記録も空白の3日後から、ステロイド服薬が開始されました。
不思議なことにこの3日間はまるで記憶にありません。
高熱で朦朧としていました。
ただ、結局色々としんどい検査をしましたが、どれも「異常なし」という結果でした。
つまり、「血液中の菌がどこから入ったのか原因不明ではあるが、行った検査では異常がなかったので、それ以外であるならSLEの治療を早急に開始しよう」という結論に至ったわけです。
だいぶ遠回りしましたが、ここから治療開始となります。
入院直前(難病申請の準備)
入院前からほぼSLEが確定と言われていた私は直後に色々と調べ、
難病申請の準備が必要と知りました。
難病申請の準備と注意点📝
まずは「指定難病の申請」のための書類を保健センターでもらいました。
申請に必要な書類の準備等、非常に手間で面倒です。そしてとってもややこしい。
これからかかる「医療費」に大きな影響が及ぶことなので手続きはできるだけ早めに準備・申請が必要だと思う反面、それら全てを本人のみで行うのはとても厳しいとも感じました。
私は出来るだけ自分で必要書類の準備をしましたが、
結局入院中大変な状況に陥ったこともあり、
最終的な申請は親にしていただきました。
もし頼まず申請が遅れていたら、支払う医療費はもっと多かったかもしれません。
自分で全てを行う場合、その流れや方法はしっかり確認する必要があるかと思います。
※私自身こんなに大変だと当初は思っておらず、また、病院では家族などサポートしてくれる方がいる前提で話を進めてきます。身内がいない方は、ご友人に頼んで申請してもらっていました。
それから、マイナンバーカードがあった方が多少手間は減るかもしれません。
まず申請書類は「保健センター」で受け取り、申請に必要な書類の一つである住民票は「市役所」で発行が必要です。場所が異なります。
転居をしている場合、(時期によりますが)旧住所の市役所に行き課税証明書を発行してもらう必要もあります。
私はマイナンバーカードなし、転居後だったため、この辺り大変だった印象です。
※追記2024.06
マイナンバーがあれば住民票はコンビニでも印刷できるようになったので、とりあえず保健センターに行けば問題なさそうです。
課税証明書もマイナンバーと連携許可すれば不要そう。
入院日記
次の記事からは入院初日から記録していた日記と記憶を振り返りながら書きます。
「入院期間は1ヶ月」
「まずは検査をし、確定診断後、治療を開始します」
そう最初は説明を受けました。
しかし結局私は2ヶ月半入院し、検査自体も予定よりかなり多い数を受けました。
これからSLE確定診断を受ける方は「こういうケースもあるんだ」程度に読んでいただければと思います。
長くなる予定ですので、下記目次です。
①山盛り検査と最初の発熱
②治療開始〜合併症になるまで
③合併症の治療
④副作用のピーク〜退院
最初の受診〜入院指示を受けるまで
前記事の通り、関節の痛みと発熱が続いてから2週間後、ようやく受診しました。
私にとって熱が出ること、長引くこと、は
おかしいと思えど特別なことではなかったし、
熱は朝になれば下がるわけで、さらには関節痛も午後に近づくにつれ緩和していたため、むしろいつものよりはマシだし、
どうせこれも「分からない」と言われるんだろうなぁ、という思いがあったために受診を決めるまで時間がかかりました。
※熱が出ること以外で初めて「指の関節痛」を感じていたため、この時点でもしかしたら「関節痛リウマチ」かな?と思っていました。
そしてそこからの流れが以下です。
最初の内科受診:関節痛と発熱を伝え、リウマチの値の検査をお願いする
↓
1週間半後:リウマチの値が「少しだけ高く」他は特に何の問題なかったが念のため大学病院への紹介状をもらう
↓
1週間半後:仕事すぐに休まず、一旦リウマチ専門の病院を受診し精密検査を受ける
↓
1週間後:「週明けから大学病院で1か月入院してください」さらには、「私の経験上99%、SLEだと思います」と伝えられる
↓
週明けから入院開始、2か月半後退院
最初の異変を感じてから入院するまでの期間、約1か月半です。
学生時代から続いていた症状のこともあり
自分では一大事とまで思わず、
また、今までの医師への不信感やら嫌悪感やらで病院行くことへの抵抗感と、せっかく順調に仕事ができているのに、また「体調管理ができていない」と言われたらどうしようという不安感などで
受診が遅くなったこと、精密検査を受けることを先延ばしにしたこと、
この点は大後悔ポイントです。
今となれば「定期的に異常なほどの高熱が出る」ことはやはり正常ではないし、それを自分の「体質」だと思い、そんな状態に慣れるべきではなかったなと思います。